莢迷の旅

できれば連れて行って欲しいんだ

昔のことを思い出すと、よく「今ならこうしてた」という後悔におそわれる。

それは今がその時よりも、経験を積んで成長している証ではあるのだけど。

それでも「時を戻せるのなら」と願わずにはいられなくなる。

 

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すごく辛いことがあった、という人との話の流れで「精神的な問題はそうそう解決しないよね」という言葉が自分の口から出てきた。

何の気なしに出た言葉だけど、言い得て妙な言葉だと思った。

 

僕は昔から、人の辛い話の相談に乗るのが好きで、よく首を突っ込んでいた。

自分なら解決してやれる、的確なアドバイスをしてやれる、という自身を持って。

でも実際のところ、相談に乗るなんてあまりにもおこがましい言い方で、どちらかといえば「憂さ晴らし」の方がまだ正しいといえるものだった。

奇妙な話だ。自分から相談に乗っておいて、その話を聞くうちに腹が立ち、それを相手にぶつけているのだ。

それも厄介なことに、相談相手は「精神的に傷ついた人」だ。そういった人は大抵僕の的確なアドバイスとやらを真に受けて感謝するが、その通りだとは思いつつもその通りに行動出来ない自分を責めるのだ。

僕は感謝と憂さ晴らしで気持ちよくなり、相手は自分を傷つける。あまりに酷い構図だ。

当然だが、僕が何か言って自体が好転したことはなかった。むしろ相手との関係が次第に悪くなっていくだけだった。

 

僕は僕のこの被害に遭ってしまった彼女達に、顔向けできずにいる。

幸いなことに、彼女達は今でも生きている。しかし合わせる顔が無い。

忘れているかもしれないし、今更蒸し返すべきでない話かもしれない。

僕が彼女達と話したくないように、彼女達ももう僕に会いたくないかもしれない。事実、今では連絡先を切られている。

僕がどうすべきか、よくわからない。

いっそのこと「時を戻せるのなら」と。

 

「合わせる顔が無い」「どうすべきかわからない」というのは僕の精神的な問題だ。すぐには解決しないだろう。

そんな僕に今出来る最善のことは、まず「同じ過ちを繰り返さない」ことだ。

結局のところ、「精神的に傷ついた人」に対して、僕ら素人には話を聞いてあげることしか出来ない。それが僕らに出来る最善なのだと、言い聞かせ続けるしかないのだと思う。