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莢迷の旅

できれば連れて行って欲しいんだ

先のことばかり考えて頭が痛い

http://kakonoeikou.tumblr.com/post/92971422881

ソースを見失ったけど何が自分に向いているかというのは、向いていないこともしなければわからない、という話も見た。

暗示をかけられているのかもしれないけど、自分は何もしていなくて消極的でやる気のない人間、と思っている

だから今から動かなければ、と思うけど何をしたらいいかわからない

目的が「動いて得られる物」なので、何をするのか、という具体性が全くない

そもそもそんなの副産物なのに、それを求めるなんてのは主産物への冒涜でもある

 

とまあいろいろ言ったけど確実に向いてないことはわかる

嘘をつくことや、人を騙したり不幸になることを厭わず稼ぐなんてのは俺にはできない。少しそれらしいことをしたけど反吐が出そうだったのですぐにやめた。

高校の先生は「世のため人のためになることをしろ」と再三言っていたけど、欺瞞だよね。本当に怪しくない人間は自分のことを「怪しくない」なんて言わないから。誰かの幸せのために生きるのは俺にとって大前提だから、いちいち言う必要も無い

 

自分がして苦痛でないことをして人が幸せになるなら、おそらくそれが至高だと思う。

後はまあ子供達(中学生や高校生も含み男女問わない)が精神的に健やかな生活(甘やかすという意味ではない)を送ることができたらいいんだけど、コミュニケーションは苦痛に思う時もあるから「苦痛でないことをする」のと「子供達が健やかに育つ」の両立は難しいかな、と思う。

間接的にでも、どうにかできないかな?

無理だったとしたら、どっちを選ぶべきなんだろう。

苦痛でないけど一番求めている幸せが手に入らないのか、入るけど苦痛なのか。

やりたくないことは本当にやりたくないタイプだから、幸せがそれを打ち消すなんてのはたぶんない。でもその子供達に対する願いが叶わないというのもつらい。

 

たぶん、前者を選ぶと思うけどね、俺は。

他のところでも十分に楽しいことはあるから、願いが叶わなくても。